中央大学辞達学会 幹事長挨拶
中央大学辞達学会125代幹事長の平塚 春紀です。
ホームページをご覧いただきありがとうございます。
辞達学会は「弁論」を中心に活動を行っております。
弁論とは、端的に言えば「聴衆を説得する活動」のことです。
10分〜15分の弁論発表の後、聴衆との質疑応答を行います。
審査基準は大会によって多岐にわたりますが、弁論全体の
パフォーマンスを鑑みて、聴衆を最も説得せしめた弁論が
基本的にはよりよい評価を受けます。
説得的な弁論は、主に以下の要素を含んでいます。
①提示する問題の存在を証明することができていること
②その問題がなぜ存在するのかを適切に分析していること
③その問題を解決するに妥当なプランを提示できていること
④質疑応答が的確であり、その態度が毅然としていること
説得的な弁論を追い求めることで、私たち辞達学会員は、社会に出ても通用するような能力を日々はぐくんでいます。
現状(課題)を正しく認識し、原因を分析し、解決策を考える。
さらに、その論理を言葉にし、伝え、納得させる・・・そういった行為の過程で身につく能力。
社会のいかなる場所であっても、これらの能力は普遍的に必要なものです。
しかし、これらは普遍的であるがゆえに、他の分野でも伸ばす事のできる能力でもあります。例えば、プレゼンテーションや、スピーチコンテスト、ディベートなど・・・
弁論である必要性は、ないように感じるかもしれません。
ただ、弁論には、ほかにはいない特異的な存在がいます。
それは「聴衆」です。
弁論という競技において、聴衆は、
①弁士の問題意識に興味がなく
②問題について無知であり
③問題を理解せず
④問題を解決しようと思わず
⑤解決策を持たない
という姿勢をとります。
聴衆は競技中に、多様な視点から野次や質疑などを行い、積極的に弁論の論理的な穴を見つけ、反論してくるのです。
弁士はその厳しい反論をすべて受け止め、真正面から聴衆を説得しなくてはならない存在です。
そのため、ほかの分野では得られない、頑強な論理を作るための力が、私たち弁論部員には備わってゆくのです。
しかしこれも、言ってしまえば他大学の弁論部に所属すれば身につく力であり、辞達学会だけで得ることのできる特異的な力ではありません。
辞達学会を弁論部として唯一無二にしているもの
それは「集団作成」です。
他の弁論部では、個人で弁論を作ることが普通ですが、私たちは、会員全員で大会に向けた弁論作成を行っています。
聴衆は、その言葉どおり、一人ではありませんから、偏った価値観や表現、論理を用いては彼らを説得することはできません。
だからこそ、私たちは多様な意見や考えを弁論に反映させるために、弁論作成においてこの集団作成という手法をとっているのです。
問題の現状を共有し、深刻性に共感し、その原因分析を議論し、解決策を提示し合うことで、弁論✖集団作成、唯一無二の能力を獲得できるのです。
ここまで、辞達学会でしか得られない、実利的な能力について述べてきました。
最後に、私が思う、辞達学会の最大の魅力についてお伝えできればと思います。
私が重要視するのは、集団作成のもう一つの側面です。
集団作成を行う過程で、私たちは弁論に関して様々な考えや価値観を共有し合います。
その議論は、決して楽なモノではありません。
議論には否定がつきものであり、批判がつきものだからです。
普通の大学生であれば、気が引けるような熱量での議論が続いていく場合も珍しくはありません。
しかし、弁論を完成させるという目的のために、私たちは、お互いを理解をし合わなければなりません。
価値観が違うのだという、決定的な事実を受け止めて、それでも意見の合意形成をしていくのです。
私の考えですが、そこには本当の意味で他者を理解する土壌があると思います。
そうした会員同士の関係の中に、成熟したものを感じますし、そう思えること自体に、自分の精神的、人間的な成長を感じます。
弁論に限らなくても、いろいろな分野で、論理的思考能力や、言葉を伝える能力、人前で話す度胸などを得ることはできると思います。
しかし、私は他者を理解することできるようになる、人間的な成長を得られる、という点で、特別な良さが辞達学会にはあると感じています。
私は最近二年生になったばかりなので、尊敬できる先輩と、信頼できる同期は持っていますが、期待できる後輩はまだいません。
ぜひ、この機会に、辞達学会で活動してみませんか。
入会お待ちしております。
中央大学辞達学会
125代幹事長
平塚 春紀

