2024/02/24 第27回紫紺杯争奪全国学生雄弁大会
2月24日(土)に、第27回紫紺杯争奪全国学生雄弁大会が、明治大学駿河台キャンパスにて開催されました。
当会からは中島萌(法4)が出場し、演題「利他的批判」のもと、弁論空間における批判の在り方について訴えました。
結果は入賞を逃したものの、自らの想いを熱く訴えました。
以下弁士の感想です。

この度、第27回紫紺杯争奪全国学生雄弁大会に出場しました、辞達学会4年会員の中島です。
まずはじめに、紫紺杯出場にあたって、指導者として、一番近くで支え続けてくれた遠藤、練弁や添削など、作成を手伝ってくれた同期や後輩、クラブ総会がある中、会場に応援しにきてくれた現役会員のみなさんや、OBの先輩方、出場を許可し、サポートしてくれた運営代を初めとする後輩のみなさんに深く感謝申し上げます。本当に本当にありがとうございました。
そして、難しい状況の中、紫紺杯を開催してくださった、明治大学雄辯部の皆様に深く御礼申し上げます。
紫紺杯、最後の弁論で後輩に話しておきたいこと、残しておきたいことは何かなと考えた時に、弁論について「語れる」空間を残したいと思い、今回の弁論が完成しました。
今回の弁論で伝えたかったことは、以下の3つです。
・より良い議論空間の形成
・そのために、「言語化」と「弁士と聴衆の隙間を埋めることが大切」
・批判したいだけの批判になっていないか
上記のような考えになったきっかけは、他大の弁論部の後輩が、私に質問を投げかけてくれたことでした。
「昨年の紫紺杯でどうしてあのような質疑を中島さんはしたんですか。」という彼からの質問に対し、私は的を得た説明ができませんでした。
そして、その時に「自分は聞かれた時に説明もできないような質疑をしていたのか、弁論部として自分が弁士にした質問の理由も答えられないままでいいのか。」と愕然としたのを覚えています。
(後輩からの突き上げって大事ですね笑)
そこで1年間、私なりに、質疑や野次、弁士の審査をする際に、誰に対しても「説明できるようになる」ことを目標に頑張ってきました。
そして、その中で有効だった方法を紹介したのが今回の弁論です。
私は、弁論部であるならば、弁論に触れるときは、いついかなる時も「弁論部員」としての意識と自覚を持つべきだと考えています。
つまり、言葉を使って、相手に理解できるように説明できることが、弁士であっても、聴衆であっても求められるということです。
弁論中の野次にもありましたが、「聴衆は家でゴロゴロしててもいいのに、わざわざ大会に足を運んで参加してくれてるだけで偉い。聴衆に求めすぎ。」
そういった意見も存在します。
たしかに一理ありますが、弁士の時しか論理的に説明できない弁論部員は寂しいなあと思います。
そして、弁論部では議論や対話が重要視されていますが、その対話も、お互いが「自分の考えを説明できる」ことで深まっていくのではないでしょうか。
私は、弁論の話をしないレセプションに空虚さを感じていました。
話しても最初の方だけ、あとは身の上話とカラオケなど。
もちろんそれも楽しいですが、せっかく1日弁論を聞いたのなら弁論の話をしたいんだ!というのが私の思いでした。
じゃあなんでできないのか。
それを考えた時に、
・批判のための批判になっていること
・自分の中で、この弁論のどこか良くて/悪くて、どうしてそう思ったかを言語化できていなかったこと
が原因だと感じました。
今回の私の弁論を聞いて、レセプションを、弁論について「語れる」場にしてくれる人がもっと増えてくれれば大変嬉しいです。
そして今回の私の弁論の反省としては、主に以下の3点があると考えています。
・どういった場面を想定しているかの前提を聴衆と共有しきれなかったこと
・面白み(聞いてもらうための努力)が不足していた
・具体的にどうすればいいのか、分かりやすい手段がなかった
・場面は議論空間全体を想定していましたが、広すぎたのと、具体例がなく、わかりづらくなっていました。
・手段については、やはり私は自分の中で弁論についてのメモをとり、自分の思考を書き出してみたり、言語化が得意な人のNOTEを読んでみたり、話して引き出してもらうのがいいのかなと思っています。
様々反省点はありましたが、大勢の同期、後輩に大会に足を運んでもらい、レセプションでたくさんフィードバックをもらい、最高の弁論の締めくくりでした。
温かく見守ってくださった皆々様に感謝の気持ちでいっぱいです。
本当に本当にありがとうございました。